人生 あ・ら・か・る・と 年齢を重ねてきた今、昔から大切にしていた記録、メモ、本、レコード、などから、これまでの人生を振り返るエッセイのコーナー「人生あ・ら・か・る・と」です。 掲載は月1回1日。筆者は4部のKOさんです。どんな話題が出てくるか、お楽しみください。 2025/05/01 第3回 「齋 藤 塾」 …前編… かつて松城町(市役所から坂道を西に上った坂の途中の浜松図書館(現在の中央図書館)の西隣りに其の塾はあった。 中学1年生から3年生まで、1クラス40人位、120人程が通っていた。(後で色々調べたら高校3年まであった) 塾の経営者は齋藤謙三先生(中肉、中背で短髪)で、他に数学を教える藤田敦男先生(足が不自由で、杖をついて通っていた。数学者の矢野健太郎が友達だとよく話しておられた)。 月曜日から土曜日まで、英語の授業が4日、数学が2日と記憶している。 1回目の授業は4時半から6時。2回目は6時半から8時までだったと思う。 私は郊外の中学校から授業が終わると急いで、最寄りの駅から遠州鉄道に乗り、遠州浜松駅(貨物電車の引込み線が有り、丸倉倉庫等があった)で降り、そこから未舗装の浜松市役所へ向う道を30分位歩いて、塾に到着した。齋藤塾は誰でも入れる訳ではなく、縁故者ばかりで、主に親が医者、会社経営者、中心部の商店主の子女で、附属中学、中部中学の生徒が殆んどで、郊外から通っていたのは、私と同じ学校の男子(交流は無かった)2人だけだった。 英語、数学の授業に教科書や参考書は無かった。(進学塾ではない)数学の授業はむつかしく、記憶に残っていない。英語の授業でびっくりしたのは、「オックスフォード」と云う英英辞典(英語の単語英訳、つまり国語辞典)。先ず、先生が黒板ヘ書いた英語の単語を「オックスフォード」で引き(辞典は広辞苑程の厚さ)英語の訳を読んで判からない単語を今度は岩波書店の「英和辞典」で日本語訳を探し憶える。その繰り返しで、だんだん早く探すことができる様になる。いち早く探した生徒は手を挙げて、先生から褒められる。 私は上達しない方だったから、劣等生である。そう見られる様になると何をやってもダメ。 トラブルがあると「お前がやった」事になる。ひどい時は、授業が終ると居残る様にと云われ、上級生の授業の前に、先生の横に立たされ、やってもいない事を云われ、腕を捲り上げられ、「ゴハンしゃもじ」でピシャピシャと叩かれた。今ならパワーハラスメントだ。(もうひとつ齋藤塾で代々云い伝えられている注射と云って、脂でツネル罰もあった) もう一人同じ目に遭う生徒が居た。彼は大きなパン屋の息子で、背は高かったが何となく気弱そうに見えた。「こいつは、しゃもじで叩くと顔色が変わり化け玉だ」と云われた。( 化け玉というのは、アメ玉で舐めていると色がかわった) ………後半は翌日5月2日の掲載となります…… 記事一覧を見る