人生 あ・ら・か・る・と 年齢を重ねてきた今、昔から大切にしていた記録、メモ、本、レコード、などから、これまでの人生を振り返るエッセイのコーナー「人生あ・ら・か・る・と」です。 掲載は月1回1日。筆者は4部のKOさんです。どんな話題が出てくるか、お楽しみください。 2025/09/01 第11回 「鉱石ラジオが始まりだった」 ~前編~ 昭和三十二年(1950年)、私は田舎の中学校の3年生になっていた。 2年生までは以前書いた「齋藤塾」に通っていたので、放課後級友たちと雑談する時間が無かったが、高校受験のための課外授業が始まるのを理由に退塾していた。 或る日の昼休み、級友が小さなラジオらしき物とイヤホーンを持っていたので聞いてみたら「鉱石ラジオ」だと云った。 彼に追いて校庭へ出て、校舎の雨どいに「鉱石ラジオ」の先端に付いたクリップを挟んで、イヤホーンを耳に差し込むと、ザーと云う雑音に混じって幽かに(かすかに)人の声が聞こえてきた。「日本の皆様こんにちは。こちらは、北京放送です」と聞き取れた。どうやら、短波放送で、周波数が合えば、モスクワ放送も受信出来ることが判った。 当時、一般に聞いていたラジオ放送は中波放送で、短波放送は聞けない。 級友にいろいろ聞いたら、電気店で「鉱石ラジオ」の組み立てセットが売っているとの事、「初歩のラジオ」という月刊誌が有り、それを読めば、色々なラジオの製作方法も判る事も教えてくれた。 先早、電気屋で組み立てセットを買い、雑貨店(田舎なので書店はなく、書籍も取り扱っていた)に「初歩のラジオ」の取り寄せを依頼した。 さて、「鉱石ラジオ」は説明書を見ながら、何とか完成し機能した。 其の内、短波放送の北京、モスクワ放送を何日も聞いても、何を話しているのか判らず、普通のラジオ放送が聞けるラジオを作ろうと思い始めた。 「初歩のラジオ」の中に、「四球スーパー真空管ラジオ」の作り方が載っていた。 先ず、部品の調達をしなければならない。 当然、浜松市街地へ行かなければ手に入らない。 市内には部品を扱う店が2軒有った。 ~後半9月2日に続く~ 記事一覧を見る