人生 あ・ら・か・る・と 年齢を重ねてきた今、昔から大切にしていた記録、メモ、本、レコード、などから、これまでの人生を振り返るエッセイのコーナー「人生あ・ら・か・る・と」です。 掲載は月1回1日。筆者は4部のKOさんです。どんな話題が出てくるか、お楽しみください。 2025/12/02 第17回 音楽がいつも傍らに2 「シャンソン」後半 日本の歌手に戻ると、丸山明宏(現美輪明宏、メケメケがヒット)は、10代で長崎から上京し、銀座にあった「銀巴里」と云うシャンソン喫茶で人気が出た。「銀巴里」には当時色々な文化人が出入りしていて、三島由紀夫(作家故人)と知り合い、後に三島が書いた「サド侯爵夫人」を舞台にかけ演じた。自身が作詞・作曲した「ヨイトマケの唄」がヒットし、今も色々な歌手がカバーしている。 日本のシャンソン界に、多大な貢献をしたのが石井好子である。毎年7月15日の「パリ祭」に合わせ、日本のシャンソン歌手たちが年に一度ステージに集う「日本のパリ祭」を立ち上げ、石井の死後も続けられ、今年で60年以上経っている。 越路吹雪は、「愛の賛歌」「ラストダンスは私に」「サントワ・マミー」「ろくでなし」等が、岩谷時子の絶妙な訳詩でヒットした。 岸洋子は、東京芸大声楽科の出身で、在学当時から二期会合唱団に所属し、クラシック歌手を目指していたが、膠原病を患い入院中にエディット・ピアフの歌を聞き感銘を受け、シャンソン歌手になった。「恋心」「雪が降る」「そして今は」等がヒットした。イタリアのサンレモ音楽祭へも「今宵あなたが聞く歌は」で参加している。また、「夜明けの歌」「希望」等の歌謡曲、「思い出のソレンツアーラ」「ラスト・ワルツ」等のポピュラーソングもヒットした。残念なことに二人共、56~7才で亡くなってしまった。 60年ほど前、加入していた「浜松音楽鑑賞会」で、各々のコンサートを観たが、好対称だった。 越路吹雪は、仕草に品の良い色気が有り、殊にコミカルな曲に面白さが有った。 一方、岸洋子は、朗々とした声量でどの曲を聴いても余裕があり、満ち足りた気分になった。 クミコは、作詞家の松本隆に見いだされ、「わが麗しの恋物語」でメジャーデビュー、越路吹雪のヒット曲を多数歌い、昭和の歌謡曲も多数歌っている。 其の後、「シャンソン」は「フレンチポップス」と云われ、「アイドルを探せ」「あなたのとりこ」シルヴィー・バルタン、「夢見るフランス人形」フランス・ギャル、「おおシャンゼリゼ」ダニエル・ビダール、「愛の休日」ミッシェル・ボルナレフなどが世界的にヒットした。 今では、YouTubeでシャンソンでも曲名でも検索すればいくらでも観ることができる。 良い時代になったものだと思う。 和合町在住K・O 記事一覧を見る