人生 あ・ら・か・る・と 年齢を重ねてきた今、昔から大切にしていた記録、メモ、本、レコード、などから、これまでの人生を振り返るエッセイのコーナー「人生あ・ら・か・る・と」です。 掲載は月1回1日。筆者は4部のKOさんです。どんな話題が出てくるか、お楽しみください。 2026/07/01 第27回「祖母 その2」 おばあちゃんは、よく風呂場で背中を流してくれた。先ず固く絞った手拭いで、体全体を丁寧に擦り、垢を落とし、石鹸で洗い、お湯をかけて汚れを落としてくれた。一連の動作が流れるように進み、気持ちがよかった。多分、奉公先で身に付けたのだと想う。 祖母は、雨降り以外、余り家の中には居なかった。戦争で焼け出され疎開していた先の農家の畑を借りて、大根、胡瓜、茄子、薩摩芋、里芋、南瓜、とうもろこし、コーリヤン、じゃがいも、小麦などを作っていた。畑の隅に、麦藁で強風が来れば直ぐ壊れそうな粗末な小屋を建て,農機具や肥料など保管し、雨や一休みする時に使っていた。 小学校の5~6年生になると、リヤカーに肥桶を乗せ、歩いて30分位の畑に手伝いについていった。祖母は視力が弱いので、野菜を採る時期を逸してしまう。或る時、母親が「アンタ一緒に行って、よく見て採って来て」と頼まれた。茄子や胡瓜は、葉の裏側に有る物は見づらいので、収穫時期をオーバーする。 6月の麦刈りの手伝いは大変だった。麦の穂が手拭いを巻いた首筋から入ると、チクチクして痒くて痒くて…。 祖母は、道すがら畑仕事をしている人を見ると、必ず声を掛けた。 「コンニチハ、ヨイオテンキデ」「ヨイオテンキデ、シゴトガ、ハカドリマスネ」知っている人かと聞いたら、「シランヒトダ」と答えた。(読み書きが出来ないので、処世術として身に付けたのだろう) 又、近所の洋服屋のおばあちゃんと仲が良く、時々近くの農家に一緒に買い出しに出掛けた。「オカアチャン、ヨウフクヤノオバアチャント、カイダシニイッテクルデ、グンシキンヲタノム」と親指と人差し指でマルを作った。 台所仕事は苦手の様で、台所に居る姿を見た事は無かった。洗濯はタライで、洗濯板を使って自分の物を洗っていた。 日本酒が好きだった。毎日、4時半頃になると、台所の端の柱時計を手をかざして視て、「マダチョットハヤイカ」と独り言を云って去り、暫くすると又来て、時計を視て、「チョットハヤイガ、マアイイカ」とつぶやき、やおら流し台の前へ立膝で座り、流し台の下に置いて有る「松竹梅」(甘口らしい)の一升瓶の栓をポンと抜き、湯呑みに7~8分目注ぎ、一口呑み、今度はなみなみと注ぎ(不思議なことに眼が悪いのに、一度も零したことが無かった。)卓袱台までソロソロと運んで呑んだ。毎日欠かさず呑んだ。呑み振りが実に良い。湯呑みを口に当て、吸い付く様に旨そうに口の中へ吞み込んでいった。見ていて、この人は本当にお酒が好きなんだと強く感じた。 「五臓六腑に沁み渡る」という諺があるが、まさにぴったりだと思った。 話が外れるが、父親は50歳で事業を興し、それ迄は酒も煙草も嗜まなかったが、人を接待するのに必要と、両方始めたが、お酒を旨そうに吞んでいるのを見た事がなかった。コップ酒だったが、まるで水を呑む様にコップ1杯の水を、ゴクゴクと3~4口で吞み干した。 無理して呑んでいる様で、見ていて気分がよくなかった。 和合町在住 K・O 記事一覧を見る