人生 あ・ら・か・る・と 年齢を重ねてきた今、昔から大切にしていた記録、メモ、本、レコード、などから、これまでの人生を振り返るエッセイのコーナー「人生あ・ら・か・る・と」です。 掲載は月1回1日。筆者は4部のKOさんです。どんな話題が出てくるか、お楽しみください。 2026/08/01 第28回 「祖母 その3」 昭和23年(1948年)の秋に引っ越してきた家は、元待合(男が女を呼び入れて、遊興をするところ:岩波国語辞典)だった建物で、屋根付(銅板でなくてトタン履き)の板塀で囲まれ、片開きの門があった。我々が住むようになって、正門と呼んでいた。正月とか人寄せの時以外は、閉めてあった。常は、横に付いているくぐり戸を使っていた。玄関は、客用の表玄関と家人用の裏玄関が並んで付いていた。表玄関は三尺(90cm)程前に出ており、入母屋造り風の屋根だった。正門から玄関に入る迄、コンクリートの通路が有り、玄関手前の左側に、ちょっとした石が置かれ、石榴の木が植えてあったが、余り実はつかなかった。 玄関を入ると、床の間付の八畳間と奥に六畳間、廊下伝いに右手に庭が有り、離れと呼んでいた床の間付きの六畳間と八畳間、八畳間からは庭に降りることができた。勝手口から入ると、廊下の左側に便所と浴場と食堂兼台所、右側の階段を上ると、廊下伝いに床の間付きの6畳が2間の2階建ての家だった。 さて、ここから本題のオバアチャンの話に入る。 当時は、終戦後の”産めよ、増やせよ“の時代でご多分にもれず大勢の子供達がいた。 遊びといえば、かくれんぼ、ビー玉(カチンコと云っていた)、面子(四角券と云って、プロ野球の選手や、人気俳優の絵が描いてあった)、ポックリと云って円い空缶に穴をあけ、ヒモを通して、缶に乗って歩くとポックリ?と音がしたからポックリかも。後は、竹馬、竹とんぼ(当時子供は肥後守と云う折りたたみ式の小刀を持っていて、なんでも手作りした)。 カチンコと云っていたビー玉遊びは、地面に円を描き、其の中へビー玉を入れ、決められた場所からビー玉を使ってはじき出す遊びで、はじき出す音がカチンコ。 面子は長方形の硬い紙を地面に並べ、手に持った四角券を地面に叩きつけて裏返しになったらもらえる遊び。 其の両方の遊びをするには、平らなコンクリートの上が最適なので、子供たちは無断で入って来て、時には7~8人が喚声を出し始める。 ~次(8月2日)に続く~ 記事一覧を見る