人生 あ・ら・か・る・と 年齢を重ねてきた今、昔から大切にしていた記録、メモ、本、レコード、などから、これまでの人生を振り返るエッセイのコーナー「人生あ・ら・か・る・と」です。 掲載は月1回1日。筆者は4部のKOさんです。どんな話題が出てくるか、お楽しみください。 2026/09/02 第31回 「祖母 その6」 オバアチャンは、年に何回か豊川の親戚の家(今想うと私の母の実家)へ一晩泊りで出かけた。小学生の頃、数回連れて行ってくれた。母の父親は、白いヒゲを生やし、朝から酒浸りで、後妻さんは朝一番の汽車で、駄菓子を仕入れ行商をして夜帰って来た。 部屋に大きなラッパの拡声機のついた手廻しの蓄音機が有った。浪曲でも聴いていたか。 或る時、祖母が1人で豊川へ行き、何やら大きな物を背負って帰って来た。 うどんを作る機械だった。 先ず、小麦粉を捏ね台である程度まで捏ね、うどん製造機の円い筒が2本並んだ真ん中に平たく延ばした生地を挟み、外側に付いている車輪を廻すと、平たい均一な生地になる。それを何回か繰り返し、今度は筒に溝の付いた方へ挟み、車輪を廻すと、均一なうどんが出来上がる。なかなかの秀れもので、多いに役立ってくれた。 家族のために、一生懸命尽くしてくれたそんなオバアチャンも、私が27歳の頃に体力がなくなり、寝付くようになった。(昔は、医療体制が整っておらず、年寄りは、寝付くと医者に診てもらう事は無かった。)時々、近くに住んで居た洋服屋のオバアさんと竹屋のジイさんが見舞いに来てくれた。だんだん食も細くなり、水位しか飲まなくなった。しかし、好きな日本酒だけは、2人が見舞いに来ると要求し、何かよく判らぬ唄を手拍子しながら唄っていたと、母親から聞いた。 「コノゴロ、ヨウフクヤノ、オバアチャンも、タケヤノ、オジイサンモ、コナイナ」 と祖母がポツリと云ったと、祖母の死後、母が話した。 見舞いに来てくれていた2人は、祖母より先に亡くなってしまった。 兄が、死に顔をデッサンしたらしいが、私は見る事が無かった。 78歳で祖母が亡くなり、その翌年、兄が31歳の若さで早逝した。 諸行無常である。 完 筆耕:和合町在住KO 記事一覧を見る