< 第十回 「大屋根瓦の家」>

●そのお宅は 第5回の散歩路で紹介した 町内を通る古道 和地往還の権現谷の地で
代官職を務めた安藤家<徳川家康にまつわる、片身の池の逸話や旗掛けの松の伝説が有る>
その系図は古く 室町時代より続くとの事ですが 今回は安藤家のお話ではなく
その安藤家にお側用人として勤めたと云われる 『小山家』 旧家のお話です。

◆『小山家』は 代官の安藤家と和地往還道を挟んで建って居り 現在は無人家となっています。
現当主の方は近くに御自宅が有り現屋敷内には娘さん達ご家族のご自宅が有るものです。 (昭和の時代お屋敷の庭には古樹大木が枝を広げ白壁のお倉なども有ったものです)

◆ご紹介の現存する『小山家』の古い家屋は大正時代に建てられたとの事で その時の棟札も家の梁に有るそうです。 (この様な大屋根瓦の家は町内では今は見られない大きさです)

◆『小山家』は代官職の安藤家と共に地域の安寧秩序に馳駆奔走し 時に代官の殿が少しでも体調を崩したりした時等は直ちに駆けつけ忠義奉公致したと云われています。TVの時代劇に出て来る様な 悪徳代官との関係ではなく 地域の治政に力を注いだ家人だった。
 小山家で御仏壇のご位牌を見せて戴く機会ありました。 江戸時代よりの多くの方の御戒名が記されて居て 永く続く家系で有る事が窺えるものでした。

◆『小山家』は屋号「山六(やまろく)」と称し昭和の時代「権現谷(ごげや)の山六さん」の名で近在では呼ばれて居たものです。(先代に小山六太郎さんと名乗る方より屋号が付けられたとの由)
家棟の鬼瓦は大きくて見事なものですが 軒丸瓦にはその <山六> の文字瓦と小山家の家紋 <丸に木瓜> の家紋入りの瓦は 道すがらでも一見出来るものです。

●この家に添った道(和地往還)を所用で通る方も多くいらっしゃる事と思いますが
地域と時代の変遷を見つめて来た古家 改めて「大屋根瓦の家」を眺め下さい。

==追記== 
この小山家より 戦前南米(アルゼンチン)に移住した方が居て 現地事業に成功し昭和30年頃に
一時帰国の里帰りをされた方が戻って来られた時の凱旋風景は 現・深谷歯科さんの所より
権現谷の実家まで歩いての来道 両側には一目見ようと近隣近在の多くの人の出迎え
人垣の中 私も母に連れられて見物に来た記憶が有るものです。
 当時は 日本人が南米に働きを求めに行き 今世は南米の人達が日本に働きを求めて来る
この様な時代が来るとは その時は誰もが思わなかったものでした。

<当話 御当主の小山氏のご了解を得て寄稿させて頂いております> 

8-1-2 松本貞司 記