< 第二回 「権現谷喜兵衛 創業の地」の石碑 >

この記念碑は 現在の住岡食品㈱さんの先代が この地で創業したのが今から175年程前の弘化3年(1846年)との事で 当初は通称<蒲小屋>と言われ、浜松東部の<蒲地区>での生業よりこの地に移り住み仕事を始めたとの事です。
その後、地名にちなみ、「権現谷喜兵衛」と名乗り、屋敷の横を流れる段子川の流れを使い水車を回し製油業を営み、その後 時代の変遷により製油業より 製麺業に転じて平成22年(2010年)に100周年目となり、この記念碑を建立致したとの事です。
創業当時この地は人家少なく 敷地郡富塚村と称しその後浜名郡となり、更に浜松市となったものです。

平成22年の記念碑建立の際、住岡食品先代の<住岡荘平>さんより、碑を前にお話しを聞く機会が有りました。
当時製油していたのは、食料油ではなく 大豆、菜種や椿の木の実などより絞る油で夜の家中を照らす灯り(アンドン、ローソク)用の油で、出来た製油品は木樽に詰めて段子川の堤防沿いを荷車で運び、富塚の<富河岸>より舟で佐鳴湖より堀留運河を使い浜松の町に出荷していたとの事です。
<大正坂はまだ開通しておらず 今の住吉和地山方面から本坂道(姫街道)への道は無かった>

◆残念な事に<住岡荘平>さんはその年にお亡くなりになってしまい、その後はお話しを聞く機会が有りませんでした。 昭和30~40年代頃は川横の工場で、製麺業を営む事より 川にソーメンが流れ工場より下流の段子川は通称ソーメン川と言われたものです。 又中学校(北中)では自分の机をこの川まで持って来て洗ったものです。
住岡食品さんは 戦後お米の配給所ともなり 又地元和合の農家の方達はお米の精米依頼や大麦小麦よりウドンやソーメンの麺類と交換してもらったものです。

記念碑の有る場所は写真の様に<権現谷 バス停留所>の横ですのでいつでも見られます。

和合町8-1-2 松本貞司 記