< 第四回 段子川と権現谷川 >

今回は町内を流れる二つの川をご案内致します。

●私達の住む和合町内には二つの二級河川が緑豊かな谷間を形成して流れています
この地に住む人々は古来より川と共に暮らし又川も地域の変遷を見続けて来たものです。

① その一つの川は町内の1部~3部の和合北地域の馬生地区を流れる「段子川」です。

段子川はその起点は萩丘の小豆餅公園の南に位置し<写真の様に起点標識あります>幸町、泉町から和合町内を流れ富塚町を通り佐鳴湖へと流れる約5Km程の河川です。佐鳴湖河口近くで「権現谷川」と「中途川」を合流させて佐鳴湖へ注ぐ最も大きな川です。川の名前は江戸時代日本地図を作成した有名な「伊能忠敬」の古地図にも「段子川村」の村名が見られ古くから「段子川」としての川の名前が有ったものと覗えます。明治から昭和の時代川の中流には麺業の会社が有り麺が川に流れ出て来る事有り別名「ソーメン川」の異名を取ったものでした。

② もう一つの川は自衛隊広報館南の和合北を起点<写真有り>より発する「権現谷川」です。

この川の名前については川の中流域の谷間には三方ヶ原合戦の折り徳川軍が陣を敷いたと言い伝えのある旧跡が有り(片身の池と旗掛けの松)権現様と云われた徳川家康公が宿陣を敷いた谷間に流れる川より「権現谷川」と名付けられたとの説があるものです。昭和の時代まではこの川の清流には小魚の群れが見られ又初夏の夜の川岸や田にはあちこちに蛍が飛び交って居たものです。(近年蛍の復活が一部見受けられています)
(徳川家康公にまつわる片身の池と旗掛けの松は今はなく団地内の小公園名として名残り有り)

●二つの川は共に三方原台地の南端を水の流れで削り緑多い豊かな谷を形成して古くから人々と共に歴史にもその足跡を残し昭和の30年代頃までの生活は川と共に暮らし川に沿っての稲作田畑を潤し水車を使った精米、製油や紙漉き、酒造、染色等の生活に永く関わり役立って来たものです。
現在はあの豊だった水流や田畑も少なくなり緑の谷間も少なくなってしまいましたが天気の良い日には散歩のついでに町内の二つの川の起点確認の探しに訪れて見て下さい。

<和合町8-1-2 松本貞司記〉

写真 上:権現谷川起点   下:段子川起点

権現谷川 起点 段子川 起点