< 第五回 町内の古道「和地往還」>

今回の第五話は町内の古道『和地(わじ)往還(おうかん)』をご案内致します。

●私達の住む 和合町内には 古くからの旧道<往還道>が通っていたものです。現在でも有ります (一部は歩行のみの個所も有り)その代表的な古道が『和地往還』です。「往還道とは 近在の村里に住む人々が暮らしの為に主に徒歩で行き来した生活道です」

●『和地往還』は 江戸時代以前から有り 浜松宿の名残(現鹿谷町)犀ケ崖の三社神社の前から本坂道(姫街道)より分かれ 現在の杏林堂城北店横を通り 現静岡大構内を南から北に抜け北部中学校の東から 長坂を下り 段子川を渡り 主婦の店の北側信号交差点を北へと進み権現谷川橋を渡り 権現谷の坂道を登り <写真の様に 細い急な山坂の為今も車は通れず>その後台地の上に出て道は更に北方へと続いて居るものです。<現在の湖東和合線(自衛隊道)の掘り割り個所の道路は無く往還道はしばらく平坦道となっていた>その台地を北進して旧寸田ケ谷村、不遣(やらず)村を通り 現在の航空自衛隊基地内を横切り<この先は小松原林が続く人家もない一本道で往還道一番の寂しい所だった>その小松原を抜けると谷あいを流れる伊佐地川を渡り 谷上の村落に出て(現環状線)を横切り 更に北進し坂を下ると浜名湖に流れ込む花川を渡ると和地となり道は更に堀江呉松方面へと続いて居たものです。
この道を「浜松」と「和地」の地を結ぶ道より 『和地往還』 と呼ばれたものです。

★途次和合町地内より吉野(現花川町)方面に行く「吉野往還」の名の付く脇往還の分かれ道も有ったものです
(吉野往還は機会が有りましたらば 別途ご紹介)
 
◆『和地往還』は浜名湖 庄内地域や舘山寺 湖北方面へと道はつながり 古代の舘山寺街道とも言うべき歴史の道が この和合町の町内を通って居たものです。
<現在の和地方面に行く舘山寺街道の富塚町より 西山町/伊佐地町を抜けて行く道は無かったものです>

◆この往還道に接して和地の人達の入会地の山野が有った一帯を<和地の人の山>と呼ばれ
この地域が その後現在の<和地山町>となり その町名の由来にもなって居るものです。

●『和地往還』は段子川、権現谷川、伊佐地川、花川の各川の谷あいを渡り 山坂を抜け 村落を通り近在に暮らす人々が 商いや遊行 買い出しに又彼岸時のお鴨江参り等で浜松の街に出る際楽しげな親子の姿会話やつらい悲しみの人々達の行き来の世相を往還道はいつも見つめて来た事と思います。   
先ずは名残「三社神社」前より 和合町地内を歩いて見て下さい。

<和合町8-1-2 松本貞司 記〉


(権現谷川 碑) (和地往還)