< 第六回 古道の「道標」>

第六話の今回は古道の『道標(みちしるべ)』のご縁をご紹介致します。

●先の第五話では 町内を通る古道の「和地往還」をご案内致しましたが
         今回は その古道脇に在った 『道標』 の石碑をご紹介と致します。

①前回ご案内の「和地往還」道を北部中学校の東より長坂を下る途中の右側のケアセンター敷地内に「道標」の石碑と小さな石仏がひっそりと立っています。(以前は道路際に有ったものです)
道標には 『右 馬生区  左 勝坂不動権□』 と「御即位記念」の字がかすかに読み取れる文字を刻んで有る道標が有ります。 設置者は池谷□氏が大正4年10月に往還を行き来する旅人達への為に「道標」を大正天皇の即位を記念して建てたものと思います。
 横には古びた石仏(馬頭観音像)がその正面には(馬□□□□菩薩)と刻まれるが 摩滅激しい
<道標の設置者の池谷某氏の詳細は判らず 馬頭観音は旅の途次この地で果てた人馬の供養の為か>

②もう一つの「道標」は前回の紹介で「和地往還」から「吉野往還」への分かれ道に在った
「勝坂不動尊」へのお参り道の案内で『右 不動道』 と石に彫られた「道標」が有ったものです。
当初建てられて居た場所は 昭和15年頃に和合湖東線の新道路建設に伴い撤去され以降平成26年迄 地元の旧家で大事に保存されていたものです。
建立は明治38年に追分町(現在の布橋一丁目)の犬塚伊三郎氏が寄贈と刻まれています。
なぜ和合町内の勝坂不動尊への「道標」を建てたかは ご家族の方も判らずとの事です。
この「道標」は関係者の御了解を得て 現在は「三嶋神社」の参道脇に移設展示して有ります。

◆寄贈者の犬塚伊三郎さんは 元浜松市議会議員も務めた人で旧追分町で瓦の製造販売の生業をしていた地元実業家の経済人でもありました。
 御屋敷には今も御子孫の方がお住まいで 犀ケ崖の交差点より南への坂道途中の左際歩道脇には<犬塚坂>の標柱と大きな石碑も有ります。
(昭和30年代頃までは 六間道路沿いの谷間近辺には3軒程の瓦屋さんが有ったものです)
【勝坂不動尊については 別の機会にでもご紹介致したいと思います】
天気の良い日に追分の「犬塚坂」の碑 長坂の「道標」と 三嶋神社参道脇の「道標」を訪れて見て下さい。
追:石に刻まれた古代の『道標(みちしるべ)』は 現代のナビゲーションシステムに通じるとの想いです

<和合町8-1-2 松本貞司 記〉

(馬頭観音、道標) (犬塚坂 碑)