< 第八回 「縄文遺跡」の探索>

●和合町内には縄文時代のものと思われる遺跡が5ケ所程見つかっていると言われています。
その中で唯一発掘調査されて記録が残っているのが 町内1部2組の地域で発見された[村長(そんちょう)平(びら)遺跡(いせき)]です。

◆その発掘調査報告書に依りますと 発掘調査は二次に渡り 第一次調査は1971年に第二次調査は2005年6月3日~6月14日に調査され 建物敷地の造成時や道路改修の工事中に土器、石器の出土発見に伴う 発掘調査だったとの事です。

◆遺跡よりの発掘出土品の土器や石製の矢じり等より この場所に人々が住んで居た時代は縄文時代の中期との事です。
(縄文時代は五千年以上も続いたと云われ 市内の蜆塚遺跡は縄文時代後期との事ですが この[村長平遺跡]に住んで居た人達はそれよりも古く 縄文中期の時代だったとの事です)
<村長平遺跡の調査報告書は近くの城北図書館や浜松市博物館にも有るものです>

◆現在「村長平遺跡]の発掘場所付近には 特に標柱や説明板は建てられていませんが、近くに有る <信用金庫の事務センタ->と <大正坂>を挟んでの北側向の台地の上の今は住宅地域の一帯となります。
(散歩コースの目印としては近くに有る送電線鉄塔から送電線の下近辺の範囲になるものです)

●今から五千年以上も前に この和合の地で自然の恵みの中 縄文家族の人々が生活して居た所はるか悠久の縄文原始の人々の営みの想いを 現地を訪れて感じて見るのはどうでしょうか

追: 発掘調査報告書に依ると 発掘は縄文集落の全域調査ではなく一部の区画範囲のみとの事です。
現在道路が作られ住宅地となって来て居ますが 未だ畑や駐車場として開発されていない所も残っていて機会があれば発掘調査をと願うものです。

<和合町8-1-2 松本貞司 記〉