< 第九回 「古墳 塚」>

●場所は 和合北四丁目の「馬舟平公園」内に有る 『三徳霊神古墳塚』の由来です。
(10月に行われた和合町スタンプラリーの第⑥ポイント地点に指定されて行かれた方も居るかと思います)

◆確かな調査発掘記録は残って居ませんが 古墳塚よりは古代の三徳剣や副葬品等の
遺物も出土したとの事ですが 残念ながら云われている <三徳霊神の剣や出土遺物>は
現在何処に保管されているか その所在は不明です。
(数年前迄公園に有った<三徳霊神剣出土の地>の標柱も今は見当たらず 祠も欠けてしまっている)

◆個人的に小学生の頃 この近くに友達の家が有り良く遊びに行き来した際この古墳塚近くをいつも通り見たものです 当時は赤茶けた畑の中にポッンとお椀を伏せた様な形の5~6畳程で高さ2m程度小さな円墳が有った記憶が残っているものです。

◆改めてこの古墳塚に関する事をこの地で生まれ育った年輩のご三方にお話しを伺いました。 
 塚が有った事は知って居て以前(昭和30年代頃迄)は地域の人達で供養のお祀りもしていた
との事ですが 古墳か塚が造られた経緯は残念ながら良く判らず との事です。
古墳塚が元有った場所は 当方の記憶では現公園の南西50m程の所で東南が見渡せる
崖上に有ったとの思いですが 年輩方の記憶では公園北側付近に有ったとの説も有りです。
昭和40年頃から この付近一帯が団地造成に伴い現在の公園内にその時の石仏遺物等が
移されたとの事ですが お話を聞き円墳塚の形状や植物や周りの状況より円墳塚の有った位置が定かではなく 2ケ所有ったか? とも思うものです。

◆塚墓の主は 昭和の30年代までこの地域には4~5軒の人家しかなく 古代この地を治め
古墳を作る程の有力な豪族が住んで居た様な話も形跡も無いものです。
その様な事より 武田と徳川の三方ケ原の戦いは近くで行われ その時に戦死致した両軍の武者達を葬った塚墓ではとも思うものです (それにしても今から450年も昔の事です)
今は公園内の南側にひっそりと祀り置かれています。

●現地散歩には 三嶋神社の駐車場に車を停め権現谷川の堤防に沿って行くと良いです。
途中 春は若草 秋は草もみじを見ながら NHKのブラタモリ風に行けば 権現谷川が数万年も
掛けて作った<河岸段丘>を眺めながら(今は団地造成の為形状より推察するのみですが)
川岸をゆっくり散策しながら行くのが良いと思います。

■「いつ誰か古(いにしえ)この地 塚の主 三徳剣は何をか語る」
平成31年2月 三嶋神社の月例短歌として掲げさせて頂いたものです。

<和合町8-1-2 松本貞司 記〉