Shining Life (素敵な人生)
和合町で素敵な人生を送っている方にインタビューし、月1回掲載します。
2025/03/10
大切な思い出と共に…- 4部にお住いの小原邦義さん。
こじんまりしたアパートの一室は、まるでギャラリーのようです。
音楽が流れ、その季節に合った版画や絵、民芸品などがとてもセンス良く飾られています。
そして、そこには一枚の油絵が。これは画家を目指していたお兄様(小原嘉一さん)の作品です。小原さんは、学生の頃から、毎日家で絵を描くお兄様の姿をずっとそばで見てきました。そして、毎日、少しずつ筆を入れ、真剣に作品に向き合うお兄様から、たくさんのことを学んだとおっしゃいます。また、絵のことだけでなく、ダミアやジュリエットグレコのシャンソンに出会ったのも、新宿西口で行われていた安保反対のフォークゲリラ集会の事、モダンジャズのオーネットコールマンやアメリカの偉大な詩人でヒッピーの神様と言われたアレン・ギンズバーグのことを知ったのも、お兄様からの影響だったとおっしゃいます。
絵を見たり、音楽を聴いたり、本を読んだり、調べたり、自分の興味のあることがどんどん広がっていったそうです。
その頃、雑誌「青春の手帖」(大和書房)が、若者の中で流行り始めます。その雑誌の中で、M:音楽、D:ダンス、E:エンジョイ、S:スピーク(話しあい)C:コーラスなどのイベントを通して、若者を結び付け仲間を増やそうという「ムデスク運動」(森秀人氏が提唱)というのが広がり、「青春の手帖」友の会が全国各地で結成されます。ちょうどその雑誌の挿絵を担当していたのがお兄様の嘉一さん。そして、嘉一さんの勧めで、1963年「青春の手帖」友の会浜松を結成することになります。小原さん21歳の時です。会の運営について真剣に考え、ガリ版刷りの機関紙「ムデスク文芸」を作成し、仲間と意見を交わし、サークル活動を行ったあの頃は、青春真っ只中だったとおっしゃいます。
29歳までピアノの塗装のお仕事をされたのち、建築のお仕事をされた小原さん。
音楽を聴き、絵を観賞したり、デザインをしてみたり、文章を書いてみたりと、好きなことがずっと生活の中にあったそうです。
時が経ち、奥様がご病気になられ、通院、入院、介護の生活が始まります。最初は自宅で、その後は施設で過ごされる奥様のところに毎日のように通い、大切な時間を過ごされたそうです。
奥様が亡くなられて、昨年末で14年。
小原さんのお宅では、今も、素敵な音楽が流れお兄様の嘉一さん(31歳で没)が描かれた油絵と、様々なお気に入りの民芸品や版画、そして奥様の笑顔のお写真等がさりげなく飾られ、また、たくさんの本やレコード、CDが並んでいます。
ラジオから流れてくる音楽に耳を止め、曲を探し出してもう一度聞いてみる。その人のことを調べてみる。興味を持って本を読み返してみる。図録を広げて、美術作品をもう一度見てみる。時代の流れを感じながら、様々なことを思いめぐらし、あの頃のことを思い出し、考える時間は、とても貴重で贅沢な時間。
やりたいことは、いつかできる時が来る。自分の範疇の中で。
人生いろんなことがあるけれど、好きなことは続けていけるし、続けていくことが大切だとおっしゃる小原さん。いつかできる時。それが、今なのかもしれませんね。
素敵な時間の過ごし方をされている小原さんに、まだまだお聞きしたいことがいっぱいあります。
記事一覧を見る
