Shining Life (素敵な人生)
和合町で素敵な人生を送っている方にインタビューし、月1回掲載します。
2025/05/10
第2の人生はボランティアと共に- 4部にお住いの鈴木千鶴子さん。生まれは浜松市笠井。子供時代は内気な少女だったそうです。学校を卒業後、18才で、本田技研に就職されます。当時会社は、男性が殆どで、3~4%の女性しかいなかったそうです。資材関係、生産管理の部門で60歳の定年まで勤め上げられます。子育ての時期の勤務は、ご主人の理解と、実家のお母様の支援があったからできたとおっしゃいます。在職中の一番の思い出は、天皇皇后両陛下のご結婚パレードの際の護衛のバイクのサイドカーの製作にかかわったこと。テレビでパレードを見たとき、とてもうれしい気持ちになったと話してくださいました。
さて、定年後、時間の余裕ができ、公民館に立ち寄ったところ、和合地区でボランティア活動を行っているという知人にばったり会います。彼女は、和合地区で、困っている方のお手伝いをするという活動を地域の女性たちと一緒に行っていました。そして、千鶴子さんも一緒にボランティア活動をするようになります。当時はまだ介護保険もなく、ヘルパーさんも、支援してくれるところもないという時代でした。依頼を受け、あちこちのお宅にお手伝いにいきました。
その頃、浜松市の施策として、健康づくりボランティア活動が始まります。
和合地区で行っていたボランティア活動もその一つに仲間入りすることとなります。
困っている方への支援からはじまり、公民館(高台協働センター)や、馬生団地の集会室を使い、高齢者が集える場所を作り、体操や、歌、手芸などを行ったり、協働センタ―のイベントに参加したり、という事が主な活動となっていきます。
一方で、ボランティア同志の交流、研修、勉強会も活発に行いました。その過程で住吉、和合の地域合同で介護者の思いを吐き出せる場所、介護者が集える場所を作ろうと「介護者の会」を立ち上げ、活動を行いました。(初期の活動からの繋がりから…)
同時期に協働センターにおける男女共同参画の取り組みにも参加、さまざまな講座や研修等の企画を考え、活動を行いました。
さらに軽スポーツ(ゲートボール)の団体にも属し、たくさんの仲間と一緒に活動を行いました。審判の資格を取り、事務関係の仕事、裏方の仕事もずいぶん頑張ってやって来られたそうです。たくさんのボランテイアの中で、軽スポーツと高台協働センターボランティアを、昨年まで続けてこられた千鶴子さん。ボランテイア団体で活動する上で、大変なこともありましたが、みんなが喜んでくれることが活動の原動力だったとおっしゃいます。さらに、ボランテイア活動は、楽しかったし、いっぱい勉強させていただいた。自分のための活動だったたとも。
自発的に、他の人や社会のために、見返りを求めず活動をされてきた千鶴子さんはとても素敵な大先輩です。素敵な人生。本当にそう思います。
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