Shining Life (素敵な人生)
和合町で素敵な人生を送っている方にインタビューし、月1回掲載します。
2025/12/10
「やらされるのではなく やらせていただく」- 2部にお住いの川嶋正幸さん。
生まれは秋田県横手市。横手盆地にある、小さな村で育った。小学校は1学年が17人。冬は雪が降る中を朝6時に起きて通ったそうだ。中学は7つの小学校が集まり、1500人くらいいる大きな中学校だった。おとなしい子どもだったとおっしゃる。
中学を卒業後、秋田を出て、遠く浜松(日本楽器(ヤマハ))に就職。当時、東北地方の中学、高校の卒業生を集め、会社に就職させるべく浜松からバスが来て、それに乗ってやって来た。会社の寮が完備されており、工場での勤務と寮生活が始まった。将棋が好きだったので職場で仲間ができた。サークル活動にも参加した。
21歳の時、組合活動(青年婦人部)を始め、仲間と一緒にお祭りやイベントの企画をおこなった。大変なことは全くなく、いろんな提案を行い、できないではなく、どうやったらできるかを考えた。様々な企画を行うのはとても面白かった。
あれこれ活動をするうちに上司の推薦もあり、4年にわたる職場のリーダーを養成する研修を受けることになる。研修終了後は、研究所に配属となり、人工大理石の研究をおこなった。パソコンを覚え、大卒の若い職員と一緒に働いた。
結婚し、子どもが生まれ、地域の活動にも参加するようになり、子ども会の会長に2回にわたって就いた。浜松市の体育指導員(現スポーツ推進員)の資格も取り、こちらも12年務めた。これらの活動は、楽しかったし、全く苦ではなかった。ここでも、どうやってやろう、何をすればいいのかをいつも考えていた。そうこうしているうちに50歳の大台が来た。この後、定年まで会社にいるのはもったいないと感じ、次のことを考え、退職という道を選んだ。
その後は、介護職につき、訪問入浴の仕事をした。1年程たったら、訪問入浴の会社の店長をやらないかという話が来た。3年経って介護福祉士の免許もとった。あれこれやっているうちに、今度は民生児童委員の話がやって来た。民生児童委員は現在まで15年行っている。体育振興会の会長の仕事、現在は社会福祉協議会の地区社協の会長の仕事も次々と舞い込んできた。
決して、役をやらされているのではなく、やらせて頂いている。そういう気持ちで日々活動をしているとおっしゃる川嶋さん。
否定はしない。できませんとは言わない。大変じゃない。
というのが、今までの経歴から身に付いた行動と思考のパターンだとおっしゃる川嶋さん。
役だから、仕事だからという事ではなく、流れの中で自然に仕事をこなす形で様々な活動をしなやかに行っておられる川嶋さん。
地域の中にこのような気持ちで活動してくださっている方がいることはとても心強いことです。人のために、地域のためにという事を一番に考えてくださっていることに感謝です。
素敵な人生は、まだまだ続きます。

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